原節子さんが出演されていた「東京物語」とは時代の背景が変わってしまってますが、平成版らしさ・味のある作品に仕上がっています。涙なしでは見られません。
小津の原作と対峙することなく、小津の「イメージ」を反復し消費した作品である。その意味ではまさに現代の弛緩した精神の生み出した、小津と「似て異なる」ものである。
例えば小津の代名詞ともいえる切り返しショット。トリュフォーすら戸惑わせたその手法は、小津の前衛性を際立たせるものである。さらに、このテレビ版のありきたりの切り返しと比較することで、その背後にある小津の視線の「政治性」にまで思いを馳せることが可能となる。
小津のオリジナルを知らずに見る人は幸せかもしれない。だがオリジナルのあらゆるショット、シーン、シークエンスを瞬時に想起できる者には耐えがたい。だが、だからこそ、この作品は比較のためのテクストとして存在すべきである。
リメイク作品としてはとても良く出来たものであることは確か、本作だけで充分に鑑賞に堪えると断言できますが、オリジナル東京物語を知っている者にとっては何かが足りない、その「足りなさ」こそがおそらくは20世紀後半に日本が失ったものであり、本作を見た後でオリジナルをみて何を無くしたのかを確認することもファンにとっては新たな楽しみかも、「失った」といってはみたものの、時代の流れで単純に消えてしまったのか、今も密かに息づいているものの日常にまぎれて分からなくなってしまったのか、今後さらに良い形で復活したりするものなのか、など昭和における「大きな喪失」についてはいろいろと考えさせられます、
細部にこだわってみれば、オリジナル版で原節子が演じた戦争未亡人には彼女の背後に百万人以上の実在の戦争未亡人の影があり、丸の内のタイピストである原に比べればより辛く過酷な戦後を生きた彼女たちの存在があるからこそ原節子が体言した優しさが実子達に比べて貴重であるばかりでなく神々しささえ感じさせるわけで、現代劇として製作された本作では同様の内容を松たか子には求め得ようもないということでしょう、後期小津作品に繰り返し現れる戦争の陰が作品に深さを与えていることは間違い無く、現代劇には同等のモチーフは見当たらないことにも気付かされる、