いつもの新宿駅、会社帰りのサラリーマン、女子高生たちの笑い声。そしていつもどおりオレンジ色の中央線がホームに到着する。「いっせーのせ」という掛け声と一緒に50人以上の女子高生が一斉自殺する。そんなショッキングな場面からこの映画は始まります。その後もウイルスが感染するようにどんどんと人が自殺していく。しかも、みんなそれを何かのイベントのように楽しそうに死んでいく。全く悲壮感はない。初めは正直言ってグロテスクな場面ばかりで画面を直視できなかった。しかし警察も動き出して、背後に隠されたその感染源を突き詰めていく過程はとても面白い。感染源として、いろいろな可能性を提示するのだが、どれもはっきりとしない。しかし見た人はきっと分かると思う。これは初めは意図的に操作されたものだとしても、若い人々の免疫を持たない弱い心がその感染、被害を膨大なものにしたのだと。この映画はただのホラーやエンターテインメントを超えて、私たちに自分の心に潜んでいる自殺願望が何かのきっかけで簡単に実現してしまう恐ろしさを伝えようとしているのではないか。
「自殺しよう」とする自分と,「自殺するな」と言う自分がいる.
友人や恋人とのつながりが「自殺するな」というから,「自殺するな」と言う自分が居る.
ではそのつながりが「自殺しろ」という場合を仮定しよう.
それが自殺サークルだ.この時,誰が「自殺するな」と言ってくれるだろうか.
表現の自由を履き違えた,史上最低の映画である.
表現は,現実を作り出す可能性を持ちますから,これは表現者のマスターベーションよりも凶悪な意味を持ちます.おそらく作者は,”インパクト最大化”を目的としてこの作品を作りましたが,この作品は,オウムの麻原や,アルカイダと同様,社会を呪うためのインパクト最大化を目的にしたのです.
作者には,仕事の方向性に関して,もう一度考え直してもらいたいですね.視聴者も見るのであれば,この作品の仮定を最後まで理解し(良い意味はどこにも無いのですが),作者の意図まで全て見抜いた上で,相対化しなければなりません.
そこの所,お願いしますね.
この作品を観ました。若い人達の心の変化は、すさまじく、いやな人生だと感じながら、私は誰とつながりがあるのか?あなたは何を信じますか?誰といられたら安心するのですか?どこに自分は存在しているのか、自分もコントロールできないようでは、いけないと
思わせる内容でした。自殺してしまった人からのメッセージのようでもありました。もう誰もがつらい思いもせず問題なく暮らせたらいいのに・・・合掌