エディターレビュー
地球上の生物の中で、快楽のために性行為を行うのは人間だけだと言われている。全編の80パーセント以上がセックス・シーンで埋めつくされたデビッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ』は、通常とは違う性行為の方法でエクスタシーを感じる、世間的にはアブノーマルだとかフェチと呼ばれる人たちが続々と登場し、その倒錯ぶりを見せる映画だ。とりわけクローネンバーグが強調してみせたのが、自動車事故を媒介にして得られるエクスタシーである。衝突実験の映像をビデオでグループ鑑賞し、互いの股間をまさぐりあうシーン。クローネンバーグの視点は、そうした男女の妄想と欲望に満ちた姿を見せるだけで、それについていかなる言及もしない、言及するキャラクターを配置しないという、いわば傍観者の立場を貫いているのだ。彼にとってはこういう映画を撮る行為こそが、フェティシズムを満足させることなのだろうか。原作はJ・G・バラード。(斉藤守彦)
カスタマーレビュー
本物 クラッシュ ジェームズ・スペイダー
クローネンバーグのねっちょりした空気観が
見事に昇華された1本。
出てくるのは
誰がなんと言おうと
見事な「変態さん」な訳だが
「変態さん」は判り易く「変態さん」ではなく
普通の顔をして周りを侵食していくからこそ
「変態さん」なのである。
したり顔で語るなかれ。
そう簡単に判られてたまるか。
そんな変態さんの意地が情熱が
爆発しているような作品。
いや、面白いですよ。
「大人」にはね。
主人公二人の愛を取り戻すための旅の物語 クラッシュ ジェームズ・スペイダー
まずこの映画を完成させたクローネンバーグのチャレンジ精神と、俳優陣に拍手です。
確かに賛否両論はあると思いますが、性的な描写や道徳観念からこういう映画は許せないと思う人は、最初からわざわざ見ない方が良いと思います。
私はカークラッシュで性的興奮を覚えるとか、どうとかそんな事に一切興味はありませんが、全てのエモーショナルな部分を取り払ったストーリーに圧倒されました。
今年アカデミー賞を取った同タイトル(マット・ディロンやサンドラ・ブロックなどが出演している)の映画がありますが、比べ物にならないくらいこの映画は衝撃的だと思います。
クローネンバーグのコメントに「確かにこの作品は、万人向けとはいえないでしょう。しかし、観る人たちの精神にゆっくりと間接的に作用する筈です。観客の皆さんは、最後の最後で主人公の二人が実は愛を取り戻すための旅を続けていたことを知るのです。」とありました。
まさしくその通りだと思います。
凡百のエロビデオよりづっと成人映画 クラッシュ ジェームズ・スペイダー
最近になって見たわけではなく、それどころかサイゴに見たのは6〜7年前だがディビッド・クローネンバーグ映画のなかでは「ビデオドローム」と並び忘れられないタイトルである。英国のポスト・モダン・フィクションの旗手ジェームス・G・バラードの原作によるこの映画にとっては、ジェームス・ディーンというアメリカン・フィルム・アイコンが死に至った交通事故をいかに忠実に再現するかというマニアックなテーマが全てであり、そのマニアックさこそが彼の映画全てに共通し、そしてその最も顕著な例がこの一本に凝縮されてるといって過言ない一本。この種のパラノイアは時として分裂症的20世紀のメインストリームと対峙するものなのだが、なぜかクローネンバーグ的それは20世紀の文脈に共棲、というよりは病的にパラサイトする不可避のものに見えて仕方がない。もちろん病的モシクは病気そのものなのであるから正統的な評価を下すべき対象ではあり得ないのだが(ツマリ最近カルト・ムービーというジャンルがまるでそのジャンルの成立するがゆえに映画史にも存在を許されたかのように)、ナゼかそれを許してしまうような雰囲気も持っているからたちが悪い。ちなみに彼の対象への過剰な執着心はバタイユ的エロス方面にも向かい、たしかR指定だったかもしれないこのフィルムはNC17もしくはXXX指定してもおかしくない成人映画でもある(苦笑)
どんよりです クラッシュ ジェームズ・スペイダー
最初この映画は、クローネンバーグ監督が映像作家特有のセンセーショナルなドキュメンタリー的フィクションを描きというような単純な理由で、肉体の自虐や事故の衝撃に性的興奮を覚える稀有な連中を集めたバラードの原作を映画化したのかと思ったが、じつは近未来の一般人の趣好を克明に暴露した内容だそうです。
主人公夫妻は「生」に対する寂寥や無反応を「性」を媒介にして調節しようと、人里離れた世界観へと埋没していきますが、その過程で行われていく異常性愛的な方法論は、一般人から見ると片っ端からネガティブで、恐怖以外の何物でもありません。性はこうも奇化していくのかという恐怖。そして行き着く先は表紙のロザンナ・アークエット演ずる義足のブロンド女性や、死ぬまでハイウェイで衝突を続ける奇座一門の頭ヴォーンの姿なのでしょうか。
この映画にて性はなんら旧来のロマンティックな意味合いを持たず、すべてがすべて、じつにあっけらかんと、日常的に気の向いた相手と連続的に行われていきます。もはやそこには誰が誰のパートナーであるというような所有観念はなく、道徳とか背徳とかいった言葉も当然入り込む余地はなく、もうそれで日常としてなんの疑問もなく成立しているのです。さらに恐ろしいのは、この映画の中でほとんどだれも笑顔を見せないということ。誰も楽しそうに笑ったりはしないのです。
デヴィット・クローネンバーグの代表作として間違いない本作は、そのぶっ飛んだ世界観をもって、オーディエンスを稀有な憂鬱へと引きずりこみます。実にイヤ〜〜なトーンで物語がジワジワと進行して行き、見ている方は少しずつ首を絞められているような息苦しさに終始つきとまわれます。それをを嘲笑うかのようなホリー・ハンターとロザンナ・アークエットのニヤケ顔がムナクソ悪い反面、やけに妖艶です。
脳がCRASHする クラッシュ ジェームズ・スペイダー
メタリックなキャストとスタッフの名が迫り来るOPが、観客への前戯のようにゆっくりと、スピードと金属の光沢が絡み合う官能の世界へと誘う。 妻との間に倦怠期を迎えたCFプロデューサーが、仕事に向かう途中で自動車事故に遭い、それをきっかけに、衝突事故に性的興奮を求める秘密グループと接触するようになる。後は物語など有って無きが如し。ヴィークルに加速された性的衝動が機械の歯車と化し、唸り声を上げながら速度と強度を増すプロセスのみ。迫り来る死と苦痛の恐怖がGと共に極限へ高まり、男と女、人と機械、生と死の境界線を破壊する。 破砕され、歪み、傷口を開けた車体から流れる血は、人と機械が崩壊の中で一つになった、エロスとタナトスの抱き合う光景。 洗車場で車の窓ガラスを舐める水の流れと、車体を擦るブラシの音が愛撫のように官能的。 ギプスに足を固定された女が、カシャ、カシャ、と歩く姿は、機械と互いに溶け合ったセックスの余韻を抱えたような、奇妙な幸福感を漂わせる。その脚の傷口はヴァギナであり、破壊の線、肉体の限界を超えた速度と強度への開口部。 ところで、車内から窓ガラス越しに前方の対象を追う衝動と、カメラ越しに対象を捕らえようとする衝動とは、共通性があるのでは。だからこそ、あの秘密グループでは、スターの自動車事故の再現という危険な遊びに熱中するのではないか。 有名なメディア論者マクルーハンは、唯一、性的対象となり得るテクノロジーとして、自動車を挙げている。『2001年宇宙の旅』が、武器からヴィークル(移動手段)、そしてメディアへの進化を辿る、脳とイデアの映画だったとすれば、『クラッシュ』はその逆コースを疾走。メディアの視覚と聴覚の刺激が、肉体的な苦痛と官能を獲得する。非人間的、或いは超人間的なエクスタシーのヴィークル(伝達手段)、それが『クラッシュ』。
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