新聞、出版界の内幕暴露、ジャーナリズム批判!――今から160〜70年前、日本でいえば江戸後期、幕末近くの作品ながら極めて現代的なテーマを扱っているのは驚きだ。『人間喜劇』中最大の長編(3部構成)で、古今無双の人間・社会風俗研究家バルザックは多彩なキャラクターを自在に操り、時代を先取りしたインパクトの強い作品に仕上げている。
ハイライトは第2部、詩才に長けた野心家の主人公リュシアンがパリの新聞界入りしてたどる盛衰のドラマだ。彼は斬新な演劇評を書いて華やかにデビューするが、思想と精神を商品化する「新聞」という魔窟に呑み込まれ、あたら芸術的才能を濫費。やがて美人女優コラリーとの熱愛に陥り、金に困って手形偽造の不正を働くまでに転落する……。
そんなリュシアンはとりわけ女性読者から毛嫌いされているというが、醜態をさらすのは彼だけではない。その周囲の虚栄心や功名心の強い記者たちもエゴと打算、欺瞞と奸計が錯綜する世界で、事実を捏造したり、謝礼目当てに迎合記事を書いたりするなど、歪んだ情熱をみなぎらせ、自らの良心や魂を腐敗させていく。
バルザックはそうしたジャーナリズムの暗部、ジャーナリストたちの恥部をえぐり出し痛烈に風刺。さらに、抜け目ない商法を展開する出版界の功利主義、虚業構造についても辛辣な皮肉と冷笑を込め戯画化している。ここはひときわ筆が冴え、ひと癖もふた癖もある人物のオンパレードに目が離せない。
描かれているのは、19世紀前半、王政復古期における未熟なメディアの姿だ。高度な発達を遂げた現代メディアとは懸隔がある。ただ、社会を動かし、脅かしもするメカニズムの一断面には違いなく、そのあり方や問題点をいちはやく文学の俎上にのせた先見性は敬服に値しよう。
作品全体を通じての登場人物は、パリの貴族階級から田舎の下層階級まで豪華絢爛。それらのキャラクターを巧妙な会話や独特の心理手法を用いてグラデーション鮮やかに描き分け、大型キャンパスの点景となっている人物の息遣いさえ実感させるのがバルザックの凄さであろう。
出版社はひと山当てるために血眼になって新しい才能を探す。一方、ごまんといる小説家志望者は、なんとか自分の原稿を出版社に売り込もうとする。万が一、本が刊行され、奇蹟が起きてベストセラーになったあかつきには、名家の子女を妻にもらい、貴族の称号である「de」(ド)のついた名前に改名する。
そんな生々しい19世紀フランスの出版業界の話なのだが、まったく今と同じである。当時の出版業界は、いまでいうベンチャービジネスだったらしい。黎明期だから、いい意味でも、悪い意味でもエネルギッシュだったことが、行間からうかがうことができる。
主人公は詩人志望の美貌の若者、リュシアン。彼の学生時代の親友は、彼の妹と恋仲にあり、父親が開業した印刷会社をゆくゆくは継ぐことになっていた。主人公は、一旗上げようとパリに上京する。
一方、印刷屋の父親は息子が文学なんぞに傾倒しているのが気に喰わない。「商売に学問は邪魔だ」と言わんばかりに。これって、創業者と二代目の苦労知らずのボンボンという典型的な図式ではないだろうか。
主人公はその美貌で貴族の有閑マダムを虜にして、運良く本の出版に至る。しかし、彼の夢は破れ、失意のまま、故郷へ戻る。八方塞がりとなってしまって死を決意するも、土壇場で、結局、彼は救われる。か弱き美青年ゆえに次から次へとふりかかる災難を自ら振り払うこともなく、誰かの尽力で乗り越えていく。
それにしても、本作に出てくるのは俗物ばっかりだ。文壇、論壇、政党党派など一筋縄ではいかない連中が獲物の分け前を狙っている。ロクでもない奴、いるいるこんな奴、オンパレード。これには、恐れ入るしかない。
確かに、長いし、厚くて、重たい。でも、この長さは認める。いやあ、こんな面白い小説は、最近読んでなかった、ほんとに。小説が娯楽の王様だった時代を代表する作品である。