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落語「生まれ変わり」への視座 福耳落語
芸としての落語は死んでしまったか。「古典」落語に限らずとも、もはやそれは註釈され解釈される対象、つまり歴史に他ならない。知識がなければ、理解さえかなわないものとして、縮小再生産され忘れ去られる運命にあると言えよう。
本書「福耳落語」で語られるのは、だが、腑分けとしての落語論ではない。
4歳の時に光を失ったscenelessの筆者は、耳を通じて落語に「ハマって」いく中で、テキストとしての落語だけではなく、所作や高座、風俗といった「意味」に強く惹かれる。しかし、筆者は聴き手として「所作についての知識」を求めるのではなく、落語家のところへ押し掛けて所作を「体験」、内在化してしまう。高座しかり、どじょう料理しかり。その蓄積は、ついに筆者の、また追体験する読者の、それぞれの内における「生きた」落語の再構築へとつながる。
すなわち、本書が提示しているのは、落語の生まれ変わり(再生)に向けての聴き手からの視座なのだ。次に問われるべきは、落語家の側の戦略であろうか。筆者の今後のフットワークが生む次作に期待したい。
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