カスタマーレビュー
80年代臭ぷ〜ん アイドルにっぽん
「おたく」という語を生んだことがあまりにも有名な著者初の論考集。
この人の文章は、前に宮台真司の文庫版(制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫))への解説に寄せたものを読んだことがある。周知の通り、宮台と彼は一時蜜月の関係にあったものの、その後宮台が天皇論を唱えだしてから著者が離れていったという微妙な関係にあった。そんな彼もまさかその本の著者本人である宮台を真っ正面から批判することはできなかったらしく、「彼は360°転向を果たした」という何とも苦し紛れな迷言で締めくくっており、読みながらも「そんなのレトリックですやん!」とツッコんでしまった。
そんな著者の初の論考集であるが、初っぱなの西田ひかる論からして、ものすご〜く懐かしいニオイがする。あの上手いのだけど妙に浮ついた文体、その臭いの根源はまさにあの80年代という時代そのもの。そう、彼の「80年代性」にあったのである。そして、そんな彼の手にかかればなんでも、よい意味でも悪い意味でも、とにかく軽くなる。ギリシャ神話を論じても、三島由紀夫を論じても、とにかく軽いのだ。それが彼の体内に通う逃れがたい80年代性という血の本性なのだろうか。
アイドルというものが虚像であり、その虚像性、裏面をも暴露して売り出すという反則がまかり通る無法地帯と化した現代のアイドル業界において、それでも純粋無垢な少女性にしがみつく彼のポジションには「今さら」感がないわけでもない。
彼は「おたく」の命名者であるとともに、当時は新人類の旗手として目されていた。そう考えると、時代性を象徴してしまうのは、その人にとっては幸せなのかどうかわからなくなってくる。
この著者が新人類だなんて、やっぱ考えられない アイドルにっぽん
著者によれば日本国憲法の天皇の象徴規定こそアイドルの定義なんだそうで、天皇は日本国のアイドルである、と(p7)。しかし、そう書かれた序章は「『アイドルにっぽん』宣言」と銘打たれただけあって、著者はさらに「日本は世界のアイドルになるべきだ!」(p15)と踏み込む。護憲派宣言ですよね。
でも、だったら私には本書に不満があるワケで、それは本書のタイトルが『アイドルにっぽん』なのに、基本的に男性アイドルは扱われないという点。これは先ごろ出た『テレビだョ! 全員集合』なんかも同様で、この排除がなければアイドルを「ドキュメンタリー」(p125)や「素人性」(『テレビだョ!』)の視点から論じることの説得性は、大幅減だと思う。だってそういうアイドル論の言ってることって、要はアイドルは窃視対象で、ファンというのは窃視者だって話で、オトコが少女たちに欲情しているという構図。それで天皇アイドル論が論じ切れるのか?
しかも著者は第1章冒頭に「西田ひかるは時代を象徴しない」という文章(94年5月初出)を置き、西田を「象徴なき時代を象徴するアイドル」と規定している(p20)。のっけから象徴天皇制の基盤を掘り崩す時代認識ではないか
とは言え、本書に「天皇の影」が落ちてないわけでもなくて、それはもちろん篠山紀信。本書のかなりの部分が、この写真家との共同作業から生まれた文章であることを思えば、彼は正に天皇に相応しく、本書の不在の中心をなしているとも言える。
「幻の80年安保」において「少年少女は不可視の感性のバリケードを築いていた」(p83)と主張する60年生の著者の、やや衒学趣味が鼻につく文体は、「新人類」よりは「旧人類」、あるいは「全共闘世代」にむしろ近い、古風なものだと思う。生硬ではあるが…
「にっぽん」≒「アイドル」だとして、肯定的に生き続けることなんて可能か? アイドルにっぽん
中森明夫の存在に“80年代の悲しみ”を見出してしまう自分もまた、悲しい。
本書には「1980年を作ったのは、その実は1970年の人たちだった。たぶん、1990年の文化を作るのも、1980年の人たちだろう」という森毅の言葉が引用されている。果たしてそうだっただろうか?確かに80年代まで、日本の戦後は10年(デイケイド)のタームで相対化されてきたのだと思う。しかし、80年代に“少女に救済を求めた”我々は90年代を作れなかった。作ろうとしなかった。団塊世代やシラケ世代は通過儀礼を経てやむなくおとなになっていったのに、新人類やおたくは成長することを断固拒否した。それは「時間」というタームそのものを否定することだ。中森がムービーではなくスチールにこだわるように。
我々が少女に憧れるのは、そこに“時間の停止した魔法の森”の存在を見るからである。「瞬間少女」はこれからも常に現れるだろう。しかし、少女たちの記憶を紡ぎ続けることで、「永遠」を得ることなど出来るのだろうか?客体ではなく主体を考えたとき、我々は違った形のハンバートや首輪男として生き続けることなんて出来るのだろうか?
少なくとも中森が言うように今の「にっぽん」が、二アリーイコール「アイドル」、つまりidolとidleというアンビバレントな二つの像に引き裂かれ、その中間がすっぽり抜けた状態で成り立ちつつあることは確かだろう(そう言えば「日経ビジネス」も「王子とニート」という特集を組んでいた)。そして、そうした潮流を生んだのが80年代に若者だった我々であることも。中森の結びの言葉、「さあ、一緒にアイドルの話をしましょう!」は、あまりにも楽観的で(逆に言えば挑発的で)、反発とシンパシーの入り混じった複雑な気持ちになってしまう。今の若者からしたら「おっさん、いつまで若者やってんだ?若者喰って生きてくんだ?」って感じだろうし。
その「アイドル」の時代に自分がどうだったかを思い至らせる。 アイドルにっぽん
前半は週刊誌に連載されていた文章をまとめた部分があり、その為に一つの時間(アイドル)を表すのに短過ぎるようにかんじる部分が有る。逆に後半の長めの文章はやや印象的(抽象的?)な表現をとっており、読み進めていく上で「違和感」を個人的に感じた。但し、全体的には「アイドルの時代(過去・現在・未来)」について、自身の過ごした時代とのシンクロにある意味興味深く読み進めた。
※これから購入しようとされる方に⇒写真は有りません。
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