カスタマーレビュー
冬読むのがよろしかろう 孤高の人 (上巻) (新潮文庫)
水筒に熱湯を入れ 甘納豆と煮干しを携行し私は仕事をしていた。
多少寒い時期に読んでいたのを思い出す。 冬山登山中の文章は布団の中で読んでいても寒く感じるほどだった。
冬山は魅力があり恐ろしい‥読みながら改めてそう思う、だがその一方で、やった事の無い冬山登山には妙に惹かれる。
浜坂は静かなとこだった、町では『文太郎さん』と親しく呼ばれていて嬉しく思った。 加藤文太郎記念図書館の二階には彼の息づかいが聞こえてきそうな展示物がある。 港に面した石碑も見たが石碑の文面は私もうなずき残念でならなかった。 文太郎さんの墓に手を合わせたが、まるで自分のおじいちゃんにでも会ってるような感じだった。
かつて孤独を愛した者の最期は布団の中で読んでいても息苦しく、とてもリアルで身の上にも起こりそうな気がして冷や汗が流れた。
到底真似出来ない人だが、近くに住む植村直己さんと文太郎さんは自然界の神様に神として認められ召されたのではないだろうか。
家にいながらにして極寒の北アルプスで凍えることのできるほどのリアリティ 孤高の人 (上巻) (新潮文庫)
山岳小説というのはどうやら狭いジャンルのようで、ちゃんとした作品を数多く世に出している日本の作家ということになると、10人どころか5人いるかどうかも怪しいです・・・。
逆に言うとそれだけ新田次郎が有名であるとも言えるのですが、短編長編あわせた様々な作品の中でこの『孤高の人』が最も面白いです。主人公は昭和初期に日本アルプスをたった一人で、しかも超人的なスピードで征服しまくった実在の人物である加藤文太郎です。非常に口下手で人との関わりが下手な人物なのですが、作者の巧みな筆運びによって、読み手は知らず知らずのうちに文太郎を応援してしまいます。
特に冬山での単独行はちょっとしたミスが命取りになる過酷な作業のはずなのですが、驚異的な体力と周到な準備を怠らない文太郎を見ていると、なんだか簡単そうに見えてしまいます。実際に当時としては相当抜きん出た存在だったのでしょう。
僕は一度もアルプスに行ったことはありませんが、この本を読むことで、自分が槍ヶ岳の山頂に一人で立ち、凍てつくような透明で鮮烈な空気を吸い、深い深い雪を踏みしめて稜線を延々とラッセルして行くような・・・そんな気分を味わうことができます。
2008年のNo.1 孤高の人 (上巻) (新潮文庫)
「氷壁」「神々の山嶺」から山岳小説にハマり、有名どころはほとんど読んだと思う。 山岳小説と言えばコレが一番に挙げられるのを知りながら、出版年月日の古さから長らく手が出なかった。 舞台は海外の名峰でもなく、岩壁でもなく…。 なんとなく「難しい山に登る話の方が、より感動するはず」という根拠のない思いこみもあったように思う。 戦前のこの時期に、当時の装備で単独で、剣などの日本アルプスに登ることは、現在海外の名峰に挑戦することに匹敵する…のかどうかは分からない素人である。 そこを理解できなくても、「人間 加藤文太郎」に胸うたれたのである。 今読んでも全く古くない! むしろ、これほどの作品、今はなかなか出会えないのではないだろうか! 「孤高」という言葉の意味を、初めて理解出来た気がする。 今後、私の中では「孤高」=「加藤文太郎」だろう。 「孤高」という言葉を、軽々しく使って欲しくない。 そんな気にさせられる一冊だ。 「孤高」とは、こんなにも厳しく、気高く、凄烈なものなのだ。
ノンフィクションとしておもしろい 孤高の人 (上巻) (新潮文庫)
現在,連載中のマンガ「孤高の人」を読んでいるので,小説「孤高の人」を読みました。
名作と言われるだけあっておもしろく,2日で一気に読みました。
しかし,いろいろ調べてみると,(下の方で書かれている人がいますが)遭難のきっかけを作った宮村健のモデルである吉田登美久は,実際には相当に実力のある人物で,加藤文太郎とも信頼関係があり,加藤文太郎に誘われて一緒に雪山を登ったこともあるということでした。
小説なので,当然,脚色があっていいとは思いますが,加藤文太郎が死亡することになった関心部分についての,しかも,客観的な資料に反する脚色がされているようです。
このような脚色をするのであれば,加藤文太郎という名前を使うべきでなかったと思います。
そのような内容は(亡くなっていますが)加藤文太郎の意志にも反するのでは?と素人なりに思いました。
フィクションとしては,とてもおもしろかったです。
調べなければよかったな・・・・・
宮村健のほんとうの姿 孤高の人 (上巻) (新潮文庫)
かなりの分量だが、内容は面白い。一気に読める。登山をする人なら尚更だ。
しかし、共感できない。違和感だけが残る。
小説にはモデルになった人物がいる。
主人公の加藤文太郎はもちろんだが、宮村もその1人だ。
遭難時のパートナーとして徹底的に自己中心的で無謀な若者として描かれている。
しかし、実際は、だいぶ違う。
加藤自身の山行記録「単独行」や当時の文献、同行者の談話を少し調べれば分かることだ。
宮村のモデルである宮田は、加藤に匹敵する実績と力量を持つ登山家であった。
そして、加藤とパートナーを組んでの登攀も初めてではなかった。
実力を見込んで加藤から山に誘われたものだった。
そして、難易度の高い冬山登攀を成功させ、お互いに謙虚に称えあっている。
まさしく信頼できるパートナーであった。
加藤自身も孤独を好む社交下手のように描かれているが、そうではなかった。
チームで上ることも何度かあったし、不慣れというほどではなく、むしろうまくやっていた。
遭難時の槍ヶ岳でも、あかたも急に4人で登ることになったように書かれているが、それは最初からの計画だった。
そして天気は晴れるから行ける、との判断には加藤も加わっていた。
作者は小説の中で遭難の原因を宮田1人にあるかのように書いているが、なぜ事実に反してまでここまで彼を侮蔑的に書く必要があるのだろうか。
小説では作者の意図に合わない都合の悪い事実はすべて隠されており、一言も触れられていない。
「孤高の人」という表題に付けた通り、加藤はあくまで孤独でなければならず、絶対に穢されてはならぬ存在だったのだろうか。
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