舞台は博物学全盛の19世紀イギリス、今に至る恐竜ブームの先駆けともいえる化石を大量に掘り起こし、それをビジネスにしていたひとりの女性が主人公だ。まるでフィクションのような、けれども本当にあったお話。どきどきしながらさまざまな感慨にひたり、そして勉強にもなる、そんな冒険的読書を楽しめる。
メアリーのことを1度も聞いたことがなくても、彼女が、生まれ育ったイギリス南西部ライムの海岸から掘り出した化石をロンドンの博物館で、あるいは図録の写真などで目にしたことはあるかもしれない。今日の恐竜学に大変な貢献をした人物なのだ。その生涯は多彩なエピソードに彩られ、いわば伝説となってもいた。しかし、まとまった資料などがあるわけでもなく、彼女の存在は謎に包まれたまま本国でも忘れられつつあった。そんなメアリの世界初の本格的な評伝の執筆を、日本の古生物学者とアニメ脚本家という異色のコンビが成し遂げた。このこと自体も「冒険」といえそうだ。
本書はまた、男尊女卑、階級社会の国と時代にあって、たったひとりで貧しい家族を養い、紳士学者たちを相手にビジネスをし、自身の名前では論文などを一切残せなかった女性が、気丈に懸命に生きた切ない記録でもある。頑固でやや偏屈なキャラクターの愛すべきメアリー――わずかに残る手紙の文章とイラストからは、自然が産み出すものへの観察眼の細やかさ、真実をみる洞察力が感じられる。おそらくメアリー自身がそうであったように、一筋縄ではゆかない、多面的でちょっと不思議な味わいのある評伝になっている。(坂本成子)
科学史を研究するものとして、この名著を推薦いたします。
メアリー・アニングは古生物学を専門とする人にもほとんど知られていない存在です。その彼女にスポットライトをあてたことは、本書の最大の功績であります。
世のゴルフ場のロビーには「トム・モリス」の肖像がしばしば飾られます。それは全世界においてかなりの数にのぼることでしょう。しかしそれでいながら、トム・モリスの偉業について詳しく知っているゴルファーは数少ないのです。ましてメアリー・アニングの肖像画が、英国自然史博物館に(さりげなく)飾られているからといって、世の人たちが彼女のことを詳しく知っているとは限りません。
筆者の吉川惣司さんは「ルパン三世」の映画監督もなさった多才な方で、じつに筆のたつ方です。また矢島道子さんは介形虫(オストラコーダ)化石の研究により理学博士の学位をもつ方で、東大の初代教授をつとめたヒルゲンドルフについての研究により、科学史界においてよく知られます。こんかいその異色な二お人が力をあわせ、歴史の闇に埋もれていたメアリー・アニングの人生について詳しく掘りおこしました。
本書はアニングの肖像画についての謎解きから始まります。彼女の資料は低質な紙の、しかもその両面に滲むインクで書き込まれた粗末なものが大半です。それをよくぞ読み解き、そしてかくも平易な文章にまとめあげたものです。まさにお二人の不断の努力の結果です。
図版も多く、それを眺めるだけでも、十分価値のある本です。科学だけでなく歴史学、文学、紀行学、科学史学、女性学などの立場からも、広くおすすめする美事な一冊といえましょう。このような本の出版を決断した編集部の心意気に熱いエールを送ります。
虫プロダクションで「鉄腕アトム」を手掛けた経歴を持つアニメーション・ディレクターの吉川惣司氏と、古生物学の中でもミジンコを専門とする矢島道子氏という異色のコンビによる科学史。イクチオサウルスを発見したことで名高いイギリスのメアリ・アニングの生涯を描き出した著作である。古生物学に多少なりとも関心があるなら、メアリの名を知らぬことはないだろう。しかし彼女が少女時代に海岸で化石を発見した以上のことを知っている者は稀だろう。この間隙を埋めてくれるのが本書である。当時のイギリスの地質学熱、学問の世界にある性差、階級差の問題などと絡めつつ、メアリの実像が生き生きと再現されている。著者は二人ともメアリ・アニングや海棲爬虫類が専門ではなく、イギリスの文献を収集・整理して本にしたようである。また英文資料の翻訳がひどく、それが地の文にまで影響している。さらにジェーン・オースティンなど同時代人との邂逅を無理に推測したり、実際にあったとは思われないロマンスに拘泥する部分も多い。肝心の化石、地層、分類についても現在の研究状況が押さえられていない。しかしそれら欠点にも関わらず、19世紀科学の問題点に向ける眼差しは真摯で、古生物学のいちエピソードでしかなかったメアリを取り上げた点も貴重である。