ニーチェの最重要著作。かなり独特の散文物語で、決して分かり易くはないが、それでもニーチェの著作の中ではかなり読みやすい部類に入ると思う。ニーチェの思想の核となる書物であるから、ニーチェが初めての方はまずこちらを繰り返しじっくり読むことをお薦めする。
下巻では上巻で中心的に展開された「超人」思想に続き「永遠回帰」が中心に説かれる。ニーチェ曰く「考えられうるかぎりでの最高の生の肯定方法」である「永遠回帰」。過去の苦悩を受け容れつつも束縛されることなく、本来の自己自身、「あるところの自分」になるため、自由な精神をもって生の力を意志する。そうすることによって、そのためだけに全人生を永遠に繰り返すことを望むほどの最高の瞬間を創る・・・。ニーチェの「永遠回帰」の思想は、人生の旅半ば、暗い森に迷い込んだ人間にとってどれほどの勇気を与えるだろうか。
この『ツァラトゥストラ』がニーチェの最重要著作であることに間違いはないが、これだけでニーチェを評価するのは早計でもある。さらにニーチェを知りたい方は『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『反キリスト者』『この人を見よ』あたりは押さえておきたい。
ツァラトゥストラには、教え子たちができた。
彼らを「ましな人々」と名付けた教師は、彼らの愚かさを告発し、時に杖で殴打する。
右手の王・左手の王、魔術師、片目の司祭、ヒルの脳髄研究者、さまざまな「ましな者」がツァラトゥストラに従う、彼の大切な愚か者である。
そしてツァラトゥストラに対立する登場人物に、「小人」がいる。
彼は重力の魔の別名であり、同時にツァラトゥストラ本人でもある。
「小人め! おまえか! それとも、私か!」
この作品は全てがニーチェの腹話術であり、同時にそれを暴露する書物なのである。
作者はこの書物が、恥ずべき乖離で表現されていることを、隠すのではなく、恥じつつも暴露している。
なぜなら乖離とは蓄群のするところであり、その喩えが「右手の王・左手の王」であり、「魔術師」だからだ。
乖離で作品を描くことの暴露は、シェイクスピアが「テンペスト」で行った。
しかしツァラトゥストラは、乖離した人格の統合を目指す者であり、その意味でニーチェ哲学はニーチェ心理学とも呼ばれる。
「これからは、心理学の時代となる。」(ニーチェ)
皮肉にも梅毒で発狂した者は、未来を言い当てたのではなかろうか。
そして彼の告発者であり、後継者であるユングは、この先人を次のように褒め称えた。
「ニーチェの身に何が起きたのかを、人々は理解するべきなのである。」
永遠回帰とは、ユング心理学で「エナンティオドロミー」と呼ばれる心理状態であり、「自我インフレーション」という言葉とも関係が深い。
永遠回帰とは、ゲーテの愛した「永遠」と自我とが、一つに合一する瞬間である。
これを原始キリスト教で「三位一体」と呼んだのではないかとするのが、ユングのカバラおよび錬金術解釈である。
永遠の第三のペルソナである聖霊とは、「永遠の女性」のことである。