?「カタストロフィの想像」という言葉を最初に用いたのはヘンリー・ジェイムズであるが、エイミー・ブルームの2作目となる、この優れた短編集にはその流れが感じられる。『A Blind Man Can See How Much I Love You』の登場人物の多くは、ガンや流産、パーキンソン病など何らかの身体的な痛手にさいなまれている。たとえ健康に問題がない人でも、心配事を抱えていたり、家族との暮らしのなかでつらい目にあったり、軍人なら「友軍砲火」と呼ぶような、家族が持ち込む問題に悩まされたりするものである。ともあれ、ここに集められた秀作に暗さはない。妙なことだが、むしろ逆境を楽しんでいる感すらある。とにかく著者は、読者が本を閉じた後も、登場人物たちはなんとかやっていくだろうと思わせてくれるし、違和感のない絶妙なさじ加減で「希望」と「絶望」を交互に描いてみせる。
タイトルになっている物語を見てみよう。ある中年の母親が、性転換手術という試練に立ち向かう娘の力になってやろうと決心する。母親のジェーンは「年間最優秀母親賞・性転換児の母親部門」でももらえるのではないかというほど良い母親を演じながら「美形の男っぽい娘」を地道に支援し続ける。しかし、人間、無理はできないものである。ジェーンはとびっきり魅力的な男性に会っても自分の幸運をにわかには信じられなくなってしまうのだ。その男性が腕いっぱいの花を持って玄関先に現れても、葛藤が次から次へと尽きることなくわいてくる。
ジェーンはアパートの狭いポーチに立っている。平均体型の大人が2人と48本の薔薇がなんとか入る程度の広さしかない。
?「私は晴れがましくも恋に溺れる愚か者の仲間入りをしてしまった。ドン・キホーテやハーミア、あるいはオスカー・ワイルド、それとも子どものように大はしゃぎしながら藁(わら)のかんかん帽を取るジョー・E・ブラウンと、ジャック・レモンというところかしら。モーターボートに乗ったレモンたちには誰にも止められないとんでもない結末が待っているのだけど」
『Some Like It Hot』(邦題:『お熱いのがお好き』)の、ジャック・レモン扮する女装したベース弾きに恋するジョー・E・ブラウンを引き合いに出すあたりに、著者ならではのセンスが感じられるではないか。夢を奪ってしまうことに力を入れすぎではないかと思われないように、著者はサウスカロライナ州のモットーを引用しながらジェーンの新しい恋人にこんなふうに言わせている。「Dum spiro, spero... 息あるかぎり希望を捨てず」。読者も、望みを捨てないで、と言いたくなるだろう。
?「Stars at Elbow and Foot」と 「Rowing to Eden」は、悲劇だが、末節にまで行き届いた品の良さが実に印象深い。また他の2作では、サンプソン一家(初登場は『Come to Me』に収められている「Sleepwalking」)を再び描いたり、多民族国家の姿を、差別用語として使用禁止になっている言葉をあえて用いながら、短いけれども美しい叙事詩に描き上げたりしている。そして、忘れてはいけないのが「The Story」という巧緻を極めた作品だ。この作品によってブルームは「チェホフ風」と評されるに至ったらしい。嘘つきで偽善的な語り手は、ライバルを破滅させるのだが、あくまでも自分は虚構の中の人物にすぎないことを強調している。
?「今でも彼女を破滅させて本当によかったと思っている。結果として、さまざまな解釈を可能にする『多義性』や、語り手の感情を不安にさせている原因とおぼしき激しい『愛憎』などという作品の持つ風合いが台無しになってしまうけれど…」
それでもやはり、作家としての才能豊かなブルームは他の作品でも7種7様の「多義性」を描いている。ブルームは、ものの見方は人の数だけあることを承知の上で、「解釈は読者に任せる」ことを当然のこととしてさらりと認めている。別の言い方をすれば、ブルームはあらゆるもののを受け入れるが、何ひとつないがしろにはしていないということだ。